PPC参加 砂持加勢まつり

2012/10/07

●日 時:10月7日(日)午前10時30分~午後4時 
●天 気:晴れ
●内 容:第6回砂持加勢まつり 
●参加者:3000人(主催者発表)

▲PPCの「お菓子が飛び出す山車」はバームクーヘン、もみじ饅頭、川通り餅の詰め合わせ♪

バザーの風景

▲「砂持かふぇ」で、しじみ汁、ぜんざい、コーヒー、甘酒を販売。殻入れを囲む「しじみ汁スタイル」。
今年は太田川の水質が変わってしまったのか、黄金色のしじみが手に入りにくく「太田川産しじみも入っているしじみ汁」とした

ステージの風景

▲幟の立つ、真っ赤なメインステージと、広島城二の丸をスタートした山車パレードの登場

▲9団体の山車。お神輿、幟、銀獅子、浦島太郎、龍踊り、京橋アシ舟、壮年走ろう会、本川ハッピー花車、そしてお菓子の山車

▲砂持加勢紙芝居、太鼓、砂持音頭、創作ソーラン

▲PPCの山車紹介、ひろしま菓子博2013のPRを込めて。このあと、隣の「もとまち自遊ひろば」にお嫁入り

▲14人の参加者のほか、山車づくりに4人、砂持かふぇの調理、舟あそび、と総勢20人でした♪

「砂持加勢まつり」は1862(文久2)年、幕末の広島城下で一度だけ行われた祭りです。
川に溜まった砂を取り除く作業を景気づける(加勢する)ために、町内ごとに山車(だし)を作り仮装した人たちが、山車を引いてパレードし、はやし立てました。
2008(平成20)年、広島城天守閣再建50周年記念事業として第2回(!)を行いました、というより、昔こんな祭りがあったそうな、という再現プロジェクトの始まりでした。
今年は6回目です。(昨年の様子はこちら
私たちPPCはひろしま菓子博2013のPRを込めて「お菓子が飛び出す山車」をつくりました。広島の誇る銘菓(と勝手に決めた)バームクーヘン、もみじ饅頭、川通り餅のオブジェが大きな箱にギュッと詰まってフタを押し開けて飛び出した、というイメージです。

♪もみじ饅頭を発案した人物は明治後期の厳島(宮島)の和菓子職人。いまでは広島を代表するお土産となりました。
♪バームクーヘンが日本で初めて焼かれたのは似島の捕虜収容所でした。作ったひとはドイツ人のカール・ユーハイムさん。大正8年に原爆ドームの前身、広島県物産陳列館で日本人に初めて披露して大好評。その後全国に広まったそうです。
♪川通り餅が生まれたのは、南北朝時代の1350年。毛利の武将が江の川を渡って一番乗りをしたときに、川の中から小石が浮かび上がり、2度捨てても浮かび上がってきたので、小石を持ったまま戦いました。そして大勝利したのです。それ以降、毛利の領地では12月1日にこの小石に似せたあんこもちを水難よけとして食したそうです。広島の城下町でもその風習が残り、それがこの川通り餅となりました。
というわけで、砂持加勢にぴったりの「川通り餅」を振るまい餅として、会場のみなさんへ配りました。

メインステージのまわりでは、舟あそびのカヌーと雁木タクシーの「水の都コーナー」、砂持レースなど「子どもコーナー」、砂持かふぇなど「バザーコーナー」のほか、「お祭り化粧コーナー」「砂持加勢ガイドコーナー」が祭りを盛り上げました。

ひろしま菓子博2013
とき:2013年4月19日(金)~5月12日(日)の24日間
ところ:旧広島市民球場跡地、広島県立総合体育館とその周辺
●全国菓子大博覧会はお菓子の歴史と文化を後世に伝えるとともに、菓子業界・関連産業の振興と開催地域の活性化に役立てるため、ほぼ4年に1度、全国各地で開催されている日本最大のお菓子の祭典です。
明治44年(1911年)に東京で開催された「第1回帝国菓子飴大品評会」が始まりで、戦争による一時中断はありましたが、全国のお菓子屋さんの熱意で復活し、これまで25回の開催を重ねてきました。広島での開催は大正10年(1921年)に当時の広島県立商品陳列所(現在の原爆ドーム)で開催された「第4回全国菓子飴大品評会」以来92年ぶりとなります。(ウェブサイトより)



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